ケータイ辞書JLogosロゴ 新倉(中世)


長野県>岡谷市

 戦国期に見える地名。諏訪郡のうち。新蔵とも見える。永禄8年11月朔日の諏訪社下社神事再興次第によれば,諏訪社下(上か)社の3月の御室御祭の費用は「跡部越中知行新倉之内」の備前分1貫454銭と諏訪刑部右衛門尉・高木伊藤左衛門尉両人役としての1貫543銭があてられている(諏訪大社文書/信史12)。それについて,永禄9年閏8月28日の吉田信生奉書案によると,武田信玄は高木伊藤左衛門尉と諏方刑部衛門尉に宛てて,諏訪社上社の3月御室御祭料として「跡部越中知行新蔵之内備前分」1貫454銭を充て,残りの1貫543銭は高木・諏方両氏の恩給地としたので,その替地を辰野のうちで補填している(三輪文書/同前13)。天正6年の下諏訪秋宮造宮帳では,諏訪社下社の秋宮造宮に際し,宮大工の烏帽子・水干・袴役銭を「下諏方岡野屋之惣領分,同三沢新蔵・辰野」の郷中に充てている(信叢2)。なお,同年の下諏訪春秋両宮造宮帳では宮大工の衣(烏)帽子・水干の調整を「岡野谷 三沢 高倉 辰野」の諸郷に課しているが,この「高倉」は新倉の誤記か。翌7年の下宮春宮では,諏訪社下社の春宮の造営にあたって,宮大工の衣(烏)帽子・水干の調整を同じ「岡屋 三沢 新倉 辰野」に命じ,正物2貫文を課している(同前)。年未詳の両社御造営領并御神領等帳の末社分のうちに「一,参貫三百文〈九月九日・十一月十五日両度ニ勤候,新蔵十五所神田〉新蔵祝」とあり,当地にあった十五所社の神田から3貫300文が造営用途に充てられている(信史14)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337758
最終更新日:2009-03-01




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