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- 芋川村(近世)とは
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![]() | 芋川村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芋川村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち倉俣村10か村の1つ信濃川支流清津川左岸地名の由来は,芋川(現稲荷川)の水を取り入れたことによるはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに24石余慶安元年地内に芋川新田を開発天和検地では反別2町余,のち宝暦6年新田検地で25町余が新たに打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数5・人数52,馬6神社は神明社・十二社庄屋は倉俣本村に置かれた清津川洪水のたびに大きな被害を受け,しばしば川除普請を余儀なくされ,そのため割地制度が発達した江戸中期以降は倉俣村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」