ケータイ辞書JLogosロゴ 入野村(近世)


長野県>下條村

江戸期〜明治8年の村名伊那郡のうち汗馬山すそに広がる扇状地に位置し,地内を牛ケ爪川が流れる縄文土器・石斧・矢の根石などが多く出土するはじめ飯田藩領,寛文12年幕府領,天和元年からは美濃高須藩領村高は,「天正高帳」170石余,「正保知行付」177石余,「元禄郷帳」212石余この45石余の増加は,高須藩による畑地からの開田で,活躍した美濃国の人たちの「クロ鍬」のいい伝えがある「天保郷帳」「旧高旧領」ともに212石余なお検地は承応2年・天和3年・元禄15年に行われた大山祇命を祀る産土神の入登山神社は,古くからこの地方に伝わる災難除けの神社として広く知られ,春秋の祭りには近村から多くの参詣者を集めた近在では権現さまのお祭りと呼び,博打祭りともいわれ,にぎわった明治4年名古屋県を経て筑摩県に所属同4年山田河内村の飛地手塚原を合併,同地は山田河内村の下条仁右衛門の娘とくが徳川家康より3石を与えられた所で,寛文年間から幕府領となり,旗本知久氏の預り地となった明治8年陽皐【ひさわ】村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338058
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ