ケータイ辞書JLogosロゴ 上原村(近世)


長野県>茅野市

 江戸期〜明治7年の村名。諏訪郡のうち。高島藩領。村高は,「慶長高辻」で上原郷として976石余,「正保書上」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに同高,「旧高旧領」741石余。享保18年の「諏訪藩主手元絵図」によると,村高976石余,物成539石余,家数168,うち寺5,御徒以上の屋敷3とある。宗門帳による人口は,貞享2年741,天保9年533。上原城跡の西麓に頼岳寺がある。初代藩主諏訪頼水が,寛永7年菩提寺として開基。廟所には頼水の父頼忠,頼水および夫人理昌院の墓がある。2代藩主忠恒が慶安2年高島城下の温泉寺へ菩提寺を移したので,頼岳寺は以後菩提寺ではなくなったが,諏訪郡内の曹洞宗の中心の寺であった。村の西,上川に近い所に葛井神社がある。境内には深淵な池があって信仰の対象になっており,諏訪神社上社の一年中の最後の神事である葛池神事が現在も行われている。このほか鎌倉八幡宮から分祀された上原八幡宮,永明寺・金剛寺・極楽寺・光明寺・法明寺の5か寺があった。うち極楽寺は現存し,八幡宮の別当寺であった。なお高島藩主が参勤交代のとき,八幡宮まで藩士が見送り,また出迎えたといわれ,今でも祠前に藩主の駕籠を置いた台石が残っている。また光明寺と法明寺は合寺して法光寺となり,高島城下に移った。城下町の名残として,鍛冶小路・播磨小路・遊女小路・備前坂・築地・大町通り・片羽などの字名がある。明治4年高島県を経て筑摩県に所属。同6年の戸数170・人口758(県市町村合併誌)。同7年永明村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338125
最終更新日:2009-03-01




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