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長野県>立科町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ横鳥村,昭和30年立科【たてしな】村,同33年からは立科町の大字。横鳥村役場・巡査駐在所は当地の本郷にあった区有建物を仮用したが,以後大正期に合併村の中心地山部の滝神へ移転した。明治24年の戸数140,人口は男358・女333,学校1・水車場2。地内を県道芦田大屋停車場線が南北に縦貫し,バス路線も2本あり交通量が多い。昭和20年代の後半に丸子町上丸子から五輪久保集落の上方に合戸窪線が県道に昇格して開通,丸子町をはじめ小県郡との往来が至便になった。五輪久保地区を中心に,昭和初期養蚕に代わってリンゴ栽培が順次盛んになり,地内の外倉・牛鹿本区・虎御前・柳沢・泥ケ沢でも栽培農家が多く,現在は名産地となった。そのほか薬用人参・草花・煙草・モモも多く栽培され米作とともに盛んである。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338150
最終更新日:2009-03-01




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