ケータイ辞書JLogosロゴ 内山村(近世)


長野県>木島平村

 江戸期〜明治9年の村名。高井郡のうち。はじめ松平忠輝領,慶長8年飯山藩領,宝永3年幕府領,正徳元年飯山藩領,享保2年からは幕府領。村高は,「慶長打立帳」189石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに195石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに249石余。楮を原料とした和紙「内山紙」の発祥地で,豊富で良質な湧水を利用して,寛文年間から萩原喜右衛門が始めたと伝えられる(下高井郡誌)。宝永年間から紙漉運上金が課せられるようになり,天保年間には生産者12軒と盛んになった。また近村へも広がって積雪期の副業として盛んになり,農家の生計を助けた。内山3か村入会の山元村であり,割山7か所があって山稼ぎも行われたが,生活の中心は扇状地上の農業であった。戸口は,安永2年68・306であったが,凶作にみまわれたこともあって天保12年64・256と減少。寺社は,曹洞宗霊泉山竜興寺・八幡宮がある。明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属。同9年穂高村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338177
最終更新日:2009-03-01




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