ケータイ辞書JLogosロゴ 大久保村(近世)


長野県>梓川村

江戸期〜明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち梓川左岸扇状地上の第3段丘上に位置する金松寺山から流れ出る尾入沢沿いに集落を形成地名の由来は,窪地地形からとする説がある(南安曇郡誌)朝鮮原などからは縄文・弥生時代の土器・石器が多数発掘され,山麓には古墳もある江戸初期に上野郷が当村ほか6か村に分村して成立初見は,寛永19年松本領村々高附帳(県史近世史料5-1)松本藩領上野組に属する村高は,松本領村々高附帳230石余(うち畑方190石余),「元禄郷帳」168石余,「天保郷帳」では上野大久保村と見え244石余,「旧高旧領」248石余享保13年の人数183安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(同前)によれば,家数52・人数228寺院は曹洞宗金松寺・前山寺がある万年山金松寺は,中世この地方を支配した西牧氏の開基といい,寺伝によれば最初真言宗であったが夢窓国師が臨済宗に改め,さらに明和元年曹洞宗に改宗したとされる江戸期には10石の黒印地を有し,立田村の百姓が耕作していた同寺の位置は現在地よりやや西方にあった明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年梓村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338319
最終更新日:2009-03-01




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