ケータイ辞書JLogosロゴ 小口(中世)


長野県>岡谷市

 鎌倉期から見える地名。諏訪郡のうち。戦国期には小口郷・尾口郷とも見える。嘉禎3年6月吉祥日の奥書をもつ「祝詞段」に「岡野屋十五社小口水神」とあり(諏叢8),当地に水神のあったことが知られる。下って天文11年12月朔日,「下諏方尾口郷百弐拾貫文所」が武田晴信から千野靱負尉に与えられた(千野文書/信史11)。同地は翌年8月吉日,忠節により武田晴信から同人へ安堵されているが,同18年3月3日に同地は本領主の諏方右衛門尉へ返却され,その替地として「有賀之郷」が与えられた(同前)。永禄8年11月朔日の諏訪社下社神事再興次第によると,古来,「小口・小井川両郷」の負担する4把稲をもって勤仕してきた正月3日の神事は,両郷に田役が課せられて中絶していたので,今後はこの田役の中から祭礼の費用を出すべきことが命じられており,永禄9年度は,小口の田役11貫文中の2貫文,そのほかの地の1貫文の差出しが命じられている(諏訪大社文書/信史12)。また12月1日の祭礼は「小口之郷」の加賀守某の分で勤仕されてきたが,当郷が山田若狭守以下3人に給恩されて神事が断絶したという(同前)。永禄9年閏8月28日,武田信玄は九頭井之大夫に命じて,九頭井の勤仕してきた正月1日・11月27日の両度の神事料の不足に対して,「小口」の田役1貫文を寄付してその不足分を補填させている(矢島文書/信史13)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338494
最終更新日:2009-03-01




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