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- 麻績郷(古代)とは
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麻績郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」伊具郡五郷の1つ角田【かくだ】市枝野・藤尾・東根に比定し,尾山の名に合考すべしとし,麻績は麻草を植え,これを績み織る所の部名で今の尾山は麻山の遺名かとされている(地名辞書)伊具郡にはほかに静戸【しずりべ】郷(倭文郷)もあり,あわせて機織にかかわる村づくりが重きをなしていたことがわかる承和15年(嘉祥元年)5月13日伊具郡麻績郷戸主磐城団擬主帳陸奥臣善福らが阿倍陸奥臣と賜姓されている(続日本後紀)また,特別史跡多賀城址出土,奈良末期から平安初期と見られる平瓦に「伊具郡麻(以下欠失)」と篦書のある瓦が見つかり,麻績郷の存在が傍証されている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
麻績郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」伊那郡五郷の一つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く麻続は麻績の誤りか「伊呂波字類抄」に「麻続村」,「善光寺縁起」に「伊那郡手招(沼カ)村麻続里」と見える(信史2)これらの伝承によれば,推古朝に本田善光(若麻続東人)が難波の堀江から百済渡来の阿弥陀三尊を背負って信濃国へ下向し,伊那郡宇沼村麻続里にまず安置したが,仏宣により水内【みのち】郡芋井郷に移したと伝えられる麻続草堂跡には座光如来寺が建立されたとも伝え,現在の飯田市座光寺市場に現存する郷域も飯田市座光寺を中心とする地域に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」