ケータイ辞書JLogosロゴ 小室(中世)


長野県>梓川村

 戦国期に見える地名。安曇【あずみ】郡のうち。天正元年9月,徳川家康の攻撃によって長篠城は陥落したが,城内にいた菅沼正貞は,籠城中から家康に内通していたことが露見し,「信州小室」に幽閉されたという(当代記/信史13)。慶長元年頃と推定される屋代秀正覚書によれば,屋代秀正は徳川家康方となって虚空蔵山城に拠り,のち「小室へ引取候」という。さらに当地から武蔵本郷を経て,甲州に6年間在住したともいう(室賀家文書/長野117)。慶長5年9月の関ケ原の戦に先立つ8月5日,石田三成は真田昌幸・同信之・同信繁の三者に宛てて書状を発し,「小室」をはじめ深瀬・川中島・諏訪の仕置を真田氏に任せることを伝え,自陣営への勧誘を試みている(真田家文書上)。なお年未詳の「源家中御頭」と題する記録に「〈安曇〉小室郷御符礼三貫三百文 役銭廿貫文」とあり,当地は戦国期以前にさかのぼり,郷を付して呼ばれた可能性がある(守矢家譜記録類/諏叢26)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338594
最終更新日:2009-03-01




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