ケータイ辞書JLogosロゴ 上角影村(近世)


長野県>梓川村

江戸期〜明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち梓川左岸扇状地上の第2段丘上,第3段丘崖下に位置する地名の由来は,古代の国牧である西牧に隣接しているので,手綱をかける綱掛けによるという(南安曇郡誌)中世の角陰郷が上下に区分されたもの松本藩領上野組に属する村高は,「慶長改帳」134石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに120石,「天保郷帳」215石余,「旧高旧領」227石余享保13年の人数161嘉永元年庄屋平林善兵衛・長百姓小沢与治郎は,小倉御林・上野原・堂原3,000石を開田すべく松本藩に願い出たが,周辺の村々や藩の積極的協力が得られずこの事業は挫折した安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数34・人数191明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年梓村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7338857
最終更新日:2009-03-01




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