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上畑村(近世) 江戸期~明治10年の村名淡路国津名郡のうち淡路島中央部,郡家川上流域もと豊臣氏蔵入地慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領村高は,「御帳下書」156石余,「天保郷帳」212石余,「旧高旧領」320石余「味地草」では高312石余,家数46高倉山の四方の山道はきわめて険しく急坂寛永4年隣村山田原村から遷座したという高倉神社の祭神は厳島姫命で,安産の神として崇敬を集めている高倉山の山腹にある潜岩は高さ約3間,頂上の広さ約8畳人が立ってもぐることができ,東西2間余,安永年間頃この穴に大蛇を見つけて以後人がもぐらなくなったという高倉山の山すそに鎮座する河上神社は,淡路一の宮の川上にあることから淡路式内社13座中の河上神社とする説もある伝説地が多く,法華経が埋められているという宝篋の森,道行く人の首を切り財を貯えた所という首切坂,如意輪を祀る千規庵や,山犬の谷,猿畠などがある高倉山の山すそに住んだ米蔵は碁にすぐれ,文政7年江戸に出て本因坊と対局,許状を得て帰国した記念碑を千福寺境内に建立している明治10年木曽村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上畑村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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上畑村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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上畑村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国幡豆【はず】郡のうち三ケ根山南麓に位置し,南に三河湾を控える地名の由来は,桑畑村・小見行【こけんぎよう】村のさらに山の上に拓かれた畑の村であることにちなむと思われるはじめ相模甘縄藩領,慶安元年頃からはその分家の旗本松平氏(松平正朝系)知行村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに276石余,「天保郷帳」280石余,「旧高旧領」256石余浄土宗宝樹院は寛永年間の創建寺縁起には,天平年間行基草創とあるまた上畑社があり,末社に津島社・秋葉社がある山麓には石切場があって幡豆石を採掘し,主に護岸用石材として出荷された明治11年東幡豆村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上畑村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」