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- 河野郷(中世)とは
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河野郷(中世) 戦国期に見える郷名尾張国葉栗郡門真荘のうち「伺事記録」延徳2年10月2日条に「安禅寺殿雑掌重申尾張国門真庄内河野郷事」とあり,当郷は京都安禅寺領として幕府の安堵を受けた(室町幕府引付史料集成上)新潟県本竜寺蔵無㝵光本尊の寛正5年5月7日付裏書には「尾張国羽栗郡河野道場」とある(一宮市史資料編補遺2)下って,永禄10年11月織田信長は兼松又四郎正吉に「河野」の内10貫文を宛行っている(兼松文書/一宮市史資料編6)同9年8月29日織田信長と斎藤竜興が合戦した「河野島」は岐阜県側に比定される(中島文書/岐阜県史史料編古代中世4)現在江南市後飛保【うしろひぼ】河野・宮田河沼辺り |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
河野郷(中世) 室町期に見える郷名吉野郡のうち文明10年8月上月満吉・堀秀世の注進にかかる「上月記」によれば,長禄元年12月2日夜半,上月ら赤松氏遺臣は「吉野山河野郷」に南朝二宮(忠義王)を討ったと伝える(群書21)現在の川上村神之谷に比定される神之谷東部の三之公川中流の八幡平とその奥にあたる隠平には後南朝の宮跡伝承地があり,また金剛寺裏には忠義王の墓とされる宝篋印塔が遺存する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」