ケータイ辞書JLogosロゴ 狐塚村(近世)


長野県>丸子町

江戸期〜明治8年の村名小県【ちいさがた】郡のうち千曲川支流塩川沢川の下流域に位置する地名の由来は,鎌倉期に「きつね」と称した間者がいたことと,塚が結びついて称されるようになったという元禄年間頃までに塩川村から分村して成立小諸藩領村高は,「元禄郷帳」234石余,「天保郷帳」381石余,「旧高旧領」404石余宝暦10年の領内村々人別帳(県史近世史料2-1)に,人数180(男105・女72・出家3)とある集落の北および西は,比高差約10mの段丘崖があり,南には広大な条里水田が広がる集落南の条里水田中には幅40〜50mで東西に広がる狐塚凹地帯が存在する集落のはずれ,市の町神社付近には中世の砦があったとの伝承が残っており,昭和59年の発掘調査によってもそのことを推定し得る資料が得られた(市の町遺跡報告書)寺社は,元禄16年の牧野康重新知郷村引渡証文(県史近世史料2-1)に,羽掛大明神(市の町神社)・曹洞宗向陽院・天台宗正法院が見える明治4年小諸県を経て長野県に所属同8年塩川村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7339090
最終更新日:2009-03-01




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