ケータイ辞書JLogosロゴ 栗矢村(近世)


長野県>阿智村

江戸期〜明治8年の村名伊那郡のうち下条山脈日の入山の東麓,阿智川とその支流鶯巣川の合流点以西の台地上に位置するはじめ幕府領,元和5年からは旗本近藤氏領「天正高帳」には「栗谷野」と見え,「下条記」にも下条領の七野七原の一つに数えられている村高180石余「正保知行付」では栗屋村と書き同高「元禄郷帳」も同高で,「天保郷帳」「旧高旧領」はともに197石余安永8年の戸数35天保7年の戸数38・人口178,馬10明治元年の人口267鎮守は八幡社境内に安政5年建造の回り舞台(村文化財)があり,明治5〜25年の間は小学校として使用された法力社もある寺堂は薬師堂明治初年廃堂となった光明院の仏像も安置し,昭和56年に再建された清明堂もある明治2年伊那県,同4年筑摩県に所属同8年伍和【ごか】村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7339206
最終更新日:2009-03-01




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