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「桑原郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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桑原郷(古代) 平安期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」吾川【あがわ】郡四郷の1つ「地名辞書」は「桑原は桑田の謂にて,今の八田村,弘岡村にあたるべし,八田即白田にて桑田に同じ」とし,「日本地理志料」は「今芳原村,八田村あり,疑ふ桑―原,次―田の転邪」とする現在の伊野町八田と春野町弘岡上・弘岡中・弘岡下に比定される天平勝宝7年10月の正倉院の緑絁大幡残欠に「土佐国吾川郡桑原郷戸主日奉部夜恵調絁壱匹〈長六丈 広一尺九寸〉」と見える(寧遺下)7世紀前半の古墳に八田古墳と弘岡上古墳があり,八田には集落遺跡もある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」吾川【あがわ】郡四郷の1つ「地名辞書」は「桑原は桑田の謂にて,今の八田村,弘岡村にあたるべし,八田即白田にて桑田に同じ」とし,「日本地理志料」は「今芳原村,八田村あり,疑ふ桑―原,次―田の転邪」とする現在の伊野町八田と春野町弘岡上・弘岡中・弘岡下に比定される天平勝宝7年10月の正倉院の緑絁大幡残欠に「土佐国吾川郡桑原郷戸主日奉部夜恵調絁壱匹〈長六丈 広一尺九寸〉」と見える(寧遺下)7世紀前半の古墳に八田古墳と弘岡上古墳があり,八田には集落遺跡もある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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桑原郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」備後国世羅郡四郷の1つ現在の甲山町赤屋・西上原・東上原・伊尾・小世良・青近などが郷域であったらしい現在も伊尾に桑原谷の名をとどめる平安後期に世羅郡が東西条に分割されてからは世羅東条に属した平安末期に隣の大田郷とともに平重衡領となり,やがて後白河院に寄進され桑原方として大田荘の中心部をなすに至った... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」下総国葛飾郡七郷の1つ流山市加【か】の旧名加村は桑村の転訛したもので桑原に通じるとして流山市加付近に比定する説(地名辞書)もあるが,桑崎・桑塚の地名のある埼玉県杉戸町堤根付近に比定する説(下総国旧事考・地理志料)もある堤根の南の本郷は桑原本郷の略称が残ったものとされている(同前)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」筑後国上妻郡四郷の1つ江戸期の地誌「筑後志」「太宰管内志」は比定地未詳としたが,「地名辞書」に「黒木町に大字桑原を存す然らば黒木付近の郷名なりしならん」とあるに従うべきかなお,「日本書紀」安閑天皇2年5月甲寅条に見える桑原屯倉をこの地とする説がある(書紀集解)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桑原郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」