ケータイ辞書JLogosロゴ 計見新田村(近世)


長野県>木島平村

江戸期〜明治9年の村名高井郡のうち高社山の北,馬曲【まぐせ】川と樽川の両扇状地東部の山裾に位置する地名の由来は,計見村の新田として分村したことによるもとは計見村のうちであったが,慶安5年の検地において村切りが行われ,計見村から分村して成立した年貢割付状によれば,はじめは庄八分計見新田と記されているが,宝永年間から計見新田村と見えるようになるなお「元禄郷帳」「天保郷帳」には当村名が見えないはじめ飯山藩領,宝永3年幕府領,正徳元年飯山藩領,享保2年からは幕府領村高は,慶安5年の検地帳92石余,寛政3年の中野陣屋支配所村々毛附帳118石余,「旧高旧領」121石余上堰は村の動脈であるが,横倉村庄八がこれを開いて原大沢に居住し,その子九郎左衛門は寛文9年に馬曲川から為替堰を作り原大沢・千石の開発に努力したまた宇木村から久兵衛がきて部谷沢を開発したと伝えられる畑作が多くを占める山裾の村で,山稼ぎや出作が多い安永2年の家数46・人数238(男115・女123)神社は,原大沢に氏神の伊勢宮があり,部谷沢に巣鷹八幡宮がある東の奥山は御巣鷹山で,巣鷹八幡宮の名はこれに関係があろう明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属同9年往郷村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7339252
最終更新日:2009-03-01




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