ケータイ辞書JLogosロゴ 合原村(近世)


長野県>下條村

江戸期〜明治8年の村名伊那郡のうち天竜川中流右岸に位置する村名の由来は,文明7年下条康氏が吉岡城築城に当たり,吉岡の初名札原【さねはら】に向かい合う原の意から付けたという(下条記)集落上段部の大原の台地からは縄文土器・石斧が多く出土し,伊賀塚などの古墳もある集落の東側アミダヅルネに藤原時代の阿弥陀如来座像が祀られているまた東端天竜川の段丘上に室町期の下条氏の砦と狼煙台跡があるはじめ幕府領,元和4年からは旗本近藤氏領村高は,「天正高帳」343石余,「正保知行付」「元禄郷帳」ともに同高,「天保郷帳」「旧高旧領」はともに343石戸数・人口は,寛政4年31・114,天保7年39・141,弘化4年39・151,文久元年33・188産土神は皇太神宮で,大日如来が祀られている寺は臨済宗江西山隆興寺がある明治初年住職島文周が廸知学校を同寺に開設,近在の子弟を教え,一時は200人を超す生徒を集めた明治2年伊那県,同4年筑摩県に所属同8年陽皐【ひさわ】村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7339321
最終更新日:2009-03-01




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