- JLogos検索辞書>
- 後町(近世)とは
「後町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 後町(近世) 江戸期の町名若松城下郭外北部のうち下町に属し,桂林寺町から西に町割をしてできた町の総称(新編会津)町名は郭内の諏訪神社の後に当たることによると伝える寛文6年の会陽町街改基(会津風土記風俗帳1)によれば,文禄2年の成立で,桂林寺町・老町・北小路町・七日町・紺屋町・原ノ町・赤井町・当麻町・大和町・融通寺町・当麻中町・善久町・針屋町などの総称という寛文6年の竈数1,072・人数6,706(会津風土記風俗帳1)貞享2年の町風俗習(会津風土記風俗帳2)によれば,古くは4町の1つ元禄12年の惣町切支丹宗門御改帳によれば,8町の1つ(会津若松史3)小池氏・西田氏・上野氏が検断を勤め,職人・商人が多く居住した文化4年の風俗帳では記載のあるもののみで,1,005軒の家数が見える(会津若松史3) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 後町(近世) 江戸期の町名福江城下の1町五島藩主盛利が家臣の城下集住を実施したいわゆる「福江直り」は寛永11年に完了したといわれるが,その時に形成された町の1つ寛永11年の武家屋敷数は9(県史藩政編)地名の由来は,本町が豎町であり主要道であるのに対し,これと並行する当町は裏町という意味で名づけたと考えられるのちには東町とも呼んだ明治初期には福江村福江郷の一部になる現在の福江市中央町の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 後町(近世) 江戸期の町名厳島神社東方の東町のうち魚店町から西蓮町へ通じる路地に形成された町で,北之町のうしろにあるところから後町と名づけられた(芸藩通志)戸数は,延享3年33(東町別家数),文化元年22(東町軒別間尺書)近代になり大和町と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」