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- 塩沢新田(近世)とは
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塩沢新田(近世) 江戸期の村名常陸国久慈郡のうち久慈川の支流大沢川流域に位置するはじめ塩沢村と称し,元禄年間以後塩沢新田と改称(新編常陸)はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領村高は,「元禄郷帳」では塩沢村として61石余,「天保郷帳」では古くは塩沢村とあり41石余「水府志料」によれば,大子【だいご】組に属し,戸数10,村の規模は東西18町20間・南北16町天保13年大沢村に合併(新編常陸) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢新田(近世) 江戸期の村名勢多郡のうち塩沢川源流域に位置する幕府領村高は,「元禄郷帳」21石余,「天保郷帳」80石余名主を勤めた星野家の墓地には慶安5年・貞享2年の墓石があり,新田開発はその頃と思われる幕末の改革組合村高帳によれば,水沼村寄場組合に属し,高49石余,家数4「旧高旧領」には村名が見えず,江戸末期には塩沢村の一部となったと推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」