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寺家村(近世)


江戸期~明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち梓川左岸扇状地上の第3段丘面穴沢山麓に位置する地名の由来は,西牧山真光寺の寺屋敷による(南安曇郡誌)山麓や段丘縁から...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7339672]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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寺家村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

寺家村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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寺家村(近世)
 江戸期~明治23年の村名...

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寺家村(近世)
江戸期~明治5年頃の村名越前国丹生郡のうち丹生山地中央の織田盆地に位置する天正5年の柴田勝家検地の結果を示す織田寺社領坪付(北野七左衛門家文書)に「寺家」が見える江戸期の郷帳類では織田村の一部として扱われた正式には神領寺家村と呼ぶ中世以来剣大明神は社家と寺家の2つの組織によって神祭執行・堂舎管理・神領支配を行ってきた寺家とは織田寺と総称される剣大明神の神宮寺のことで,その構成は院坊・寺僧・院坊領およびそれを耕作しながら勤仕する農民からなっていた太閤検地では寺屋敷を除地とし全神領を没収したが,慶長8年結城秀康は織田村のうちにて30石を割いて神領として寄進した寛永元年織田村が大野藩領となると藩主松平直政は同5年先の30石を改出して51石余となし,改めて神領として寄進した剣大明神の神子・神楽役などを勤仕し,もとの院坊領を耕作していた28軒の農民にこの神領を作配させ,剣大明神別当織田寺神前院門前に居住させ,神領寺家村を編成した寺家村は諸役免除で,村役人には庄屋・小組頭・長百姓があった剣大明神は年貢徴収権を持ち,明神台所を設置してその収納にあたったが,仕置権はなかった51石余は23石が社僧,7石が社家,21石が社頭修覆分として配分されている宝暦6年の村々本高家数人数覚帳(武田家文書)によれば,家数34(門前百姓27・神主1・神子3・寺3)・人数106(男53・女53)寺家村は独立村とはいえ,織田村の中にあり,田畑山林もたがいに入り組んでおり,かつ剣大明神の維持・管理における織田村の力は圧倒的であったので両村は一体感が強く,明治維新時,神仏分離令による混乱や,地租改正を機に織田村の一部となる...

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寺家村(近世)
江戸期の村名三根【みね】郡のうち佐賀平野の東部,井柳川沿いの低湿地に位置する佐賀本藩領坊所【ぼうじよ】郷に属す村高は「正保国絵図」「天明村々目録」「天保郷帳」ともに576石余「旧高旧領」には見えない給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では中野又兵衛55石余,「大小配分石高帳」では川浪一左衛門50石・太田与右衛門50石・成松新兵衛36石余・中野又兵衛30石・江副六郎左衛門20石・角十郎右衛門20石・中野吉之丞13石・今泉孫十郎12石余・浜野源六12石余・下村佐一郎5石慶長16年の初代藩主鍋島勝茂の鍋島生三への宛行状には「寺家分之内弐百四石八斗五升」とあり,近世初期には坊所鍋島家の知行地があった江戸末期の御家老家来知行外住居名書によれば,坊所鍋島家の家来杉谷六太夫が居住していた村域は米多【めた】村のなかに割り込んだ形で上米多・下米多と接し,集落内には堀が四通縦横に巡らされている寺院は,浄土真宗本願寺派観喜山聞法寺と同宗同派筑波山円城寺が隣接してある聞法寺は寛永18年僧了西(俗名広木外記)が建立し,元禄12年銘の梵鐘がある円城寺は万治2年の開基「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに前牟田【まえむた】村の枝村として見える「明治11年戸口帳」では,前牟田村のうちに「寺家村」と見え,戸数56・人口315...

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寺家村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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寺家村(近世)
江戸期~明治9年の村名駿河【するが】国有渡【うど】郡のうち静岡平野中央部,安倍川下流左岸に位置する当村は上島村の分郷で(駿河国雑志),古くは上島村と1村で田地と民家は相互に入り交じっていた(駿河国新風土記)はじめ中村氏領,慶長5年駿府藩領,寛永10年幕府領,宝永年間一部が旗本石谷氏領,延宝年間一部が浅間神社領,天保12年からは幕府領が旗本梶野氏領村高は,「元禄郷帳」538石余,「天保郷帳」540石余,「旧高旧領」では541石余,うち梶野氏領245石余・石谷氏領69石余・浅間神社領222石余東海道丸子宿助郷差村31か村の1つで川東村12か村に属したまた駿府城御門并御蔵御飾御用村33か村の1つで,安倍川満水の時は水防人足を出す8か村の1つで,特別の場合安倍川の川越助郷を出す22か村の1つでもあった(駿府広益)安政の大地震で旗本石谷氏領内の被害は,農家住居の半壊3・大破1,物置の半壊1・大破1,納屋の全壊1,厠の全壊1・大破1,土蔵の半壊1(静岡市史)神社はなく,隣接する中村とともに見瀬村の雷電権現社を氏神とし,寺院は曹洞宗吉祥寺(駿河志料)明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属明治9年上島村と合併して中田村となる...

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寺家村(近世)
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