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- 下市場村(近世)とは
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![]() | 下市場村(近世) 江戸期~明治初年の村名播磨国加東郡のうち幕末に太郎太夫村から分村して成立加古川支流山田川下流域上市場村に対した呼び方で,字寺脇もその一部であったと思われる昔加古川の流れは台地のすぐ下を流れており,ちょうど上市場の下に船の便があり定期市を開いていたが,のち川の流れは西方に移り,市場の中心が下の川沿岸に移った120余戸の大集落をなし,下市場と呼ぶようになったさらに,近藤仁左衛門・亀蔵の出現は,下市場を商業の中心地にしていった江戸期の郷帳類には見えず,太郎太夫村の一部として扱われた明治元年調石高(加東郡誌)では,幕府領(下市場)317石余,ほか小野藩領321石余とある下市場出身の人物として近藤亀蔵の次男文蔵があげられる文蔵は父祖の遺業を継ぎ,加東から明石・美嚢【みなぎ】・加古・飾磨・赤穂の土地開発に従事し,収入は1万石に及んだといわれ,安政年間の凶作の時には山田川に堤防を築いたり,米穀・金銭の無利息貸付,救助米の支出などを行ったのち神戸の湊川神社の創建,神戸病院・重井小学校の建築にも貢献した明治初年太郎太夫村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下市場村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下市場村(近世) 江戸期~明治7年の村名摂津国川辺郡のうち在郷町である伊丹【いたみ】郷町を構成する15か村の1つ元和3年の「摂津高改帳」では当村名が見えず,伊丹村のうちに含まれている伊丹台地と猪名川との間に立地するはじめ幕府領,天和元~3年は相模国小田原藩領,貞享3年武蔵国忍藩領,文政6年からは幕府領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに66石余元禄12年伊丹町の大火により類焼,また元文5年には洪水で流失の被害を受けた明治7年伊丹町の一部となる現在の伊丹市東有岡1丁目あたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」