- JLogos検索辞書>
- 菖蒲沢村(近世)とは
「菖蒲沢村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
菖蒲沢村(近世) 江戸期~明治8年の村名但馬国朝来郡のうち市川の支流栃原川最上流域地名の由来は,和銅5年7月,桃文師竹原直吉人が,勅を奉じ綾目沢に下り綾織を教えたこの綾目沢が菖蒲沢【あやめざわ】さらに菖蒲沢となったという(生野史)幕府領村高は「天保郷帳」17石余なお,「元禄郷帳」には古くは円山新田と注記される文政13年の家数20・人数59(生野史)鎮守は太田神社山間の孤立した集落で耕地が少なく,農業のかたわら造林,製炭等が行われた幽寂閑静な環境から,森垣村の素封家石川氏が別邸を設け,天保初年の当主伊兵衛は俳人で,雅号も雀翁と称し,代官はじめ文人墨客を招き交遊の場とした同村とは古くから経済的つながりが深い明治8年の戸数10・人口41(生野史)同年円山村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菖蒲沢村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菖蒲沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」