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- 新屋敷町(近世)とは
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新屋敷町(近世) 江戸期~明治4年の町名熱田【あつた】の1町堀川下流左岸,熱田神宮西門(鎮皇門)の前を西へ,旗屋町の誓願寺の南の筋,欠町・白鳥町に至る取り付きにあたる町の長さ102間5尺,幅は2間余(徇行記)もとは熱田社の総構えのうちであった応永年間上杉謙信の先祖の庶流と伝えられる浅井右近が当地に至り,堀を掘り要害としたそこに菖蒲が多く生え,毎年5月5日これを刈って,熱田本社の屋根の軒に挿すという神事に使用された地内には菖蒲池・政所の小名があった(名古屋市史)真言宗弥勒院,臨済宗竜珠寺,曹洞宗福重寺がある明治4年白鳥町の一部となる(愛知郡誌) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新屋敷町(近世) 江戸期~明治20年の町名柏崎町の1町明治初年柏崎を冠称する場合もある正徳4年手鑑帳では見えず,寛保元年町鑑帳では閻魔町・下新田町とともに庄屋小竹惣三郎の支配下に見える文政4年案内帳には町名が見えず,明治初年には見えている明治20年柏崎町の一部となり,以後,大正4年まで通称町名となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」