- JLogos検索辞書>
- 高砂町(近世)とは
「高砂町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 高砂町(近世) 江戸期~明治3年の町名丸太町通河原町西入の町当地は豊臣秀吉による寺町建設以来の寺院地で,寛永14年洛中絵図には生蓮寺が記されている同寺は宝永5年の大火後,二条川東へ移転し,跡地に当町が起立されたこれ以前の当町の由来は不明だが,付近の福島町や信濃町が同時に現京都御苑地内の地から替地となって来ているので,当町もその付近から移転して来たものと思われる当町から西隣の信富町にかけて公家の高辻家の屋敷とそれに付属して天満宮があったが,同宮は明治前期に廃社となり,また高辻邸ものち春日小学校用地となった(府地誌・坊目誌)江戸期は下中筋組枝町の三本木七町組,明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】30番組に属した同3年錦砂町・高島町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」