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- 田沢(中世)とは
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![]() | 田沢(中世) 戦国期に見える地名北寒河江【きたさがえ】荘のうち慈恩寺領初見は慈恩寺舞童帳(慈恩寺本堂文書/県史15上)の永正14年条で,「一位公〈田沢三分一長福坊へ〉」とあるまた慈恩寺舞楽舞童帳(宝林坊文書/県史15上)の天文10年・同14年・同18年・同20年・同22年・永禄4年・同6年・同8年・同12年・元亀4年(天正元年)・天正9年の各条にもほぼ同様な記載があるまた元亀3年6月10日の宝城坊坊地売券写(禅林坊文書/県史15上)に「右件之坊地之事,田沢之内ニ流芳院秀円坊地……其上於寺役巳酉丑歳舞童,守先例無懈怠,可令勤仕者也」と見え,地内の坊地が禅林坊之兄弟宝城坊から宝林坊之息巳之房に425文で売り渡されているが,この際舞童を巳・酉・丑年と4年に1度の割で寺役として勤めるべき旨が注記されていることは注目に価するこれは先の舞楽舞童帳の記載とも一致し,当地には代々寺役として交替で舞童役が課されていたことがわかるまた元亀4年4月9日の別当坊幸暁田地補任状写(梅本坊文書/県史15上)には「慈恩寺西院田沢之内」とあり,西院の一部であったことがわかるなお先の舞楽舞童帳および延徳元年極月20日の権律師幸海供僧職坊地補任状(宝林坊文書/県史15上)には「田沢坊」の名が見えるその後文禄5年4月吉日の清左京後嫁畠地売券(同前)・慶長2年6月吉日の銀蔵坊畠地売券(同前)でも「田沢虚空蔵堂之下」など地内の土地が宝林坊に売り渡されており,宝林坊は積極的に地内の土地集積を行った村山地方,現在の寒河江市大字慈恩寺の小字田沢に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 田沢(中世) 鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 田沢(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 田沢(中世) 室町期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」