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- 本郷(中世)とは
「本郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 本郷(中世) 戦国期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 南北朝期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 南北朝期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 室町期に見える地名新居郡のうち郷とも称する応永3年11月15日の阿知生通俊沽却状(保国寺文書/編年史3)に「永売渡伊与国新居郡西条庄本郷方末久内則久名々主職売券証文事」と見えるのが初見その後正長2年にかけて,保国寺文書中の沽却状や寄進状にしばしばその名が見えるそれらによると,当地の内部には,末久方・鶴久方・菊一方・得光方の4小地域が含まれ,さらにそのうち末久方のうちに則久名,菊一方のうちに国重名などの名田が含まれていることがわかる末久方以下の4小地域は,鎌倉末期のものと推定される年未詳1月21日沙門心恵書状(覚園寺文書/神奈川県史資料編2)に見える西条荘内の京都遍照心院領4か村にほぼ一致するところから,あるいは旧遍照心院領がのちに本郷と呼ばれるようになったとも考えられる現在比定地は明確ではないが,末久が西条市大字市之川付近,菊一が大字福武付近と考えられるところから,当郷もそれらとはほど遠くない地域と推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本郷(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える郷名備中国哲多郡新見荘のうち新見荘は文永7年暮れから同8年はじめにかけて全荘にわたって検注が行われるが,文永8年2月28日の新見荘領家方奥村分正検畠取帳案に「本郷」と見え,2月2日に検畠が行われ,同年月日の新見荘領家方奥村分正検田取帳案でも同日に検田が行われている(東寺百合文書ク)また同帳の当郷の部分にはのちの加筆と推定される押紙に「東方」「西方」の注記があることから,当郷はのちの下地中分により地頭方と領家方の所領が入り組んで存在したことが知られる下って,端裏書に建武元年の年紀を有する新見荘東方地頭方損亡検見并納帳(同前)にも「一,百姓等弓事銭事……百文 本郷」とある郷域は現在の神郷町高瀬付近と推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」