ケータイ辞書JLogosロゴ 青墓村(近世)


岐阜県>大垣市

 江戸期〜明治30年の村名。不破郡のうち。慶長・元和期に西尾丹後守忠永,次いで稲葉氏の知行。貞享元年幕府領,明和7年からは大垣藩預所。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」では大谷村と記し487石余,「正保郷帳」では大墓村と記し487石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では青墓村と記し674石余。助郷は中山道赤坂宿に出役。鎮守の白髭神社で毎年1月9日に行われる山の講まつりは,寛文12年隣接村との山論に青墓村が勝訴したのを機に始まったと伝える。秋の豊作を祝う大太鼓踊も民俗芸能として有名。村内の寺院には天台宗の円興寺・円願寺,真宗本願寺派の延長寺がある。当地は梨の栽培が盛んであった。明治4年岐阜県に所属。同14年の村の状況は,村の広さ東西9町・南北23町,村高674石,反別283町。村内を中山道が東西に通る。溜池2か所,官林2反余・民林6町4反を持ち,戸数158(神社13・寺院2)・人口676。小学校区は青渓学校。人力車5両・荷積車10両を使用。陶品窯1か所・瓦窯14か所があった。物産は米・大麦・小麦・雑穀・薪・瓦・陶品。名産は昼飯焼陶器・松茸(町村略誌)。同24年の濃尾地震による被害は半壊2戸(震災誌附1)。同30年青墓村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342282
最終更新日:2009-03-01




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