ケータイ辞書JLogosロゴ 赤保木村(近世)


岐阜県>高山市

 江戸期〜明治8年の村名。大野郡三枝【さいぐさ】郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕府領。「元禄検地帳」の村高122石余。享保15年の家数26,うち百姓21・門屋4・地借1(県史)。「国中案内」は村高122石余(うち田109石余・畑12石余),反別20町余(うち田16町余・畑4町余),上田9・中7・下5・下々2,上畑7・中5・下3・下々1,年貢は6ツ4分6厘。「天保郷帳」の村高147石余。嘉永6年の人数175(大野郡史)。「後風土記」によると,村高148石余,家数30・人数170余。村域は縦10町・横3町20間。産物は穀類のほか,桑650貫目・麻7貫目・楮3貫目・布50疋・繭132貫目・真綿15把・白木綿17疋・木綿縞10疋など。東方は下林村へ5町,上切【かみぎり】村へ8町,西方・南方は山,北方は上切村へ5町,高山へ1里余。産土神は熊野社,飛騨春慶塗りの祖,成田三休の墓がある。三休は晩年家業を弟に譲り,当村に隠棲して熊野神社の再建に力を尽くした。明治8年清見村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342312
最終更新日:2009-03-01




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