ケータイ辞書JLogosロゴ 葦敷郷(中世)


岐阜県>岐阜市

 鎌倉期から見える郷名。美濃国方県【かたがた】郡のうち。初見は正中2年10月日付の鵜飼西【うかいにし】荘地頭等申状案で,鵜飼西荘地頭新三郎泰高と弥太郎忠茂らは,当郷の代官が往古の例に背いて長滝河の用水を打ち止め新儀の井水を立てたため,同荘内の公田以下若干の田地が荒廃した旨を六波羅探題に訴えており,翌年と推定される11月7日には北条(大仏)宣時は武藤次郎なる者に召状を下し,代官の京都召進を再度厳命している(熊谷文書)。室町期に入り,当郷は佐々木民部少輔高光の知行分となり,応永10年2月28日足利義満は当郷などの佐々木氏領に対する守護使の入部を停止し,下って長享2年4月25日佐々木京極政経は室町幕府奉行人奉書によって「美濃国大跡郷并葦敷・別苻」などに対する守護押領を退け,所領を安堵された(佐々木文書)。なお,源三位頼政が以仁王を奉じて挙兵した折,頼政が王に諸国の源氏の名を列挙した中に安食次郎重頼・太郎重資父子があり(県史),さらに源頼朝に与同した美濃源氏一族と思われる葦敷三郎重義や葦敷太郎重隆の名が見え(吾妻鏡・吉記),当地を本拠にした一族と考えられている(県史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342373
最終更新日:2009-03-01




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