ケータイ辞書JLogosロゴ 足近(中世)


岐阜県>羽島市

 鎌倉期から見える地名。美濃国のうち。「吾妻鏡」文治元年10月25日条に「可令固足近。洲俣已下渡々」とあるのが初見で,源頼朝の上洛に先立ち,足近や洲俣【すのまた】などの渡し警固を濃尾両国の住人に命じている。次いで同書暦仁元年2月9日条に「依去夜風雨洲俣・足近両河浮橋流損云々」と見える。南北朝期に入り,建武元年12月23日付の源家満軍忠状によると「美濃国鵜飼庄一方地頭太郎三郎家満」らは,謀叛人の蜂起により「馳向阿志賀渡」って軍忠を致している(熊谷文書)。2年後の延元3年3月付国魂行泰軍忠状に「今年正月廿四日・廿八日,美濃国阿時河・赤坂合戦」と見え,鎮守府将軍源顕家軍と土岐頼遠の属軍との間に合戦があった(大国魂神社文書)。また応永28年の大徳寺如意庵の売券によれば「尾州足近庄住人栗原惟忠」が羽栗【はぐり】郡破田村平三名を如意庵に売却している(大徳寺文書)。その後「天文日記」には,濃尾両国の坊主衆として「あしか満福寺」「西方寺代足近浄慶」などの本願寺寺院とその門徒名が見え,満福寺は嘉禎元年真宗に改宗したとされている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342410
最終更新日:2009-03-01




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