ケータイ辞書JLogosロゴ 池之俣村(近世)


岐阜県>丹生川村

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国大野郡小八賀郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕府領。村高は「元禄検地帳」8石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では18石余。「国中案内」では村高9石余・家数10。「後風土記」によれば当村は縦1町18間・横35間。家数10・人数30余。年貢は3分の2を金納,3分の1を大豆納としていた。産物は稗60石・ソバ1石余・大麦8斗・小麦6斗・大豆2石・小豆1斗余・アワ8斗・白芋2石・桑葉100貫目・アサオ35貫目・黎【あかざ】3斗・楢5斗・大繭500目・小繭1貫500目・布5匹・蕪菁200貫目。村の東・南方は山,西方は岩井谷【いわいたに】村へ8町,北方は旗鉾【はたほこ】村へ22町,高山へは6里。村内には産土神の日抱尊社,地蔵堂がまつられていた。東南方にそびえる乗鞍岳には濁【にごり】池・青垂【あおだり】池・野池・小丹生【おにう】池・大丹生池など48池があり,日照りの時は大丹生池で雨乞いが行われた。大丹生池に行く人は池の神にとらわれると言い伝えられていたが,当地を訪れた円空が1,000体の仏像を池に沈めてからは怪異はなくなったという。また滝沢馬琴の「椿説弓張月」で有名な生月毛・磨墨をこの地に得て献上したとの伝説がある。明治8年丹生川【にうかわ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342559
最終更新日:2009-03-01




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