ケータイ辞書JLogosロゴ 石浦郷(中世)


岐阜県>高山市

 南北朝期から見える郷名。飛騨国大野郡のうち。観応2年正月20日付の久下頼直宛足利義詮袖判下文に「飛騨国宮石浦郷地頭職」と見え,宅部左衛門尉跡の当地が勲功の賞として頼直に宛行われている(久下文書)。次いで応永18年10月14日付の足利義持袖判御教書案によれば,「飛騨国石浦郷地頭職・同国江名子并岡本保等」が料所の義を止め佐々木大膳大夫入道々通(京極高光)に預け置かれ,同年10月20日には管領畠山満家の施行状が出されている(佐々木文書)。これは同年の飛騨国司姉小路の反幕府蜂起に関係するものであろう。一方,「飛騨国岡本上下保・石浦郷并江名子・松橋両郷等」の領家職は南北朝期以来山科家の手にあったらしく,文明年間以前に代官職が国司小嶋勝言に預けられている。しかし文明飛騨の乱の混乱で山科家領は,守護京極氏の守護代が押領,文明3年10月5日山科家の訴えで返付の幕府奉行人奉書が出されているが,以後史料に所見なく,山科家の領有権は回復し得なかったものと推定される(山科家礼記・山科家古文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342573
最終更新日:2009-03-01




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