ケータイ辞書JLogosロゴ 石田郷(中世)


岐阜県>羽島市

 鎌倉期から見える郷名。尾張国中島郡長岡荘のうち。延応元年10月20日付の某下文に「尾張国長岡庄河東,補任 石田郷司職事」とあるのが初見。高橋秋助が郷司職に補任され,次いで弘長2年高橋明重,正和2年高橋千代女,建武3年その女婿の藤原基氏に郷司職が与えられている。永享4年正月11日毛利康光は重代相伝の地である「大須庄石田郷恒岡名」を子息千代松丸に譲与しているが,大須荘に属した経緯は明らかでない。織豊期に入り,尾張を領国とした織田信雄は天正11年9月6月毛利広盛に「石田之郷」を扶助するが,翌年の小牧・長久手の戦で広盛は羽柴秀吉に与同し,本知分のうち「四百参拾貫文 石田」などを,次いで関ケ原の戦後は徳川家康から「千四百八石 石田村」など3,056石余を安堵された(毛利文書)。子孫は尾張藩士となり幕末に及ぶ。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342591
最終更新日:2009-03-01




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