ケータイ辞書JLogosロゴ 稲口荘(中世)


岐阜県>関市

 鎌倉期から見える荘園名。武儀【むぎ】郡のうち。文永元年3月25日付の某置文に「こか御所へまいらする三所の御りやう」の一所として「みのゝくにいなくちのしやうのうち,いなくちのかう・山たのかう二かうなり,うつまさ殿こせんのゆつりたひたる所,さうてんのところなり」とある(湖山集)。稲口郷は現在の関市稲口,山田郷は同関市山田であろう。その後文和4年9月11日の左京亮貞康打渡状によれば「美濃国稲口庄領家方下地」が梅津寺(山城長福寺)に打ち渡されており(田中慶太郎氏所蔵文書/大日料6-20),以後,延文元年・応安5年・至徳3年・文明10年・延徳3年と綸旨・院宣・将軍家御教書をもって長福寺に安堵されている(長福寺文書)。同寺領にはまた「美濃国稲川(河)郷」があったが,文明10年の足利義政御教書では「美濃国稲口庄・稲河郷」とあり同郷が当荘のうちであった可能性もある。であれば稲口東部の稲河【いなご】地区に当たるか。なお天正16年12月12日付で梅竜寺東堂様御侍者中に宛てられた小岸惣右衛門尉外一名連署書状には「稲口之内,赤岡山新梅竜寺御引得可被成候」とある(梅竜寺文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342684
最終更新日:2009-03-01




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