ケータイ辞書JLogosロゴ 今泉村(近世)


岐阜県>岐阜市

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国厚見郡のうち。はじめ幕府領大久保石見守支配,元和5年より尾張藩領。村高は「慶長郷牒」1,030石余,「正保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」は共に,1,040石余(うち田方4石余・畑方1,036石余・茶年貢3斗余・野年貢2斗)。当村の布屋町・七軒町・大田町は岐阜町より続く町屋である。「濃州徇行記」によれば,寛政ごろの戸数295うち縮緬織屋2・檜笠を製する家2,人口1,014,馬2匹。また村民は農間に岐阜町で日雇稼ぎをした。当村は貞享3年3月の大火で岐阜町とともに壊滅的な打撃を受けている。神社に一柳氏産土神の八梅天神,寺に天台宗大日山観昌院美江寺・曹洞宗実徳山本覚寺・日蓮宗三融山円経寺がある。美江寺は,織田信長が本巣郡十六条村より岐阜の繁栄策として本尊十一面観音を移して建立し,また門前一帯は寺領(10石)で市が立ち,その課税によって寺を維持していた。のち遊郭や芝居興業も現れ,岐阜奉行がたびたび風紀取締の法令を出している。明治4年岐阜県に所属。同22年岐阜市の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342732
最終更新日:2009-03-01




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