ケータイ辞書JLogosロゴ 鋳物師屋村(近世)


岐阜県>関市

 江戸期〜明治30年の村名。加茂郡のうち。大嶋雲八光義の年不詳(関ケ原の戦後か)「知行目録写」(竜福寺文書)に「加茂郡いもしや村 九百五拾五石六斗五升」とある。慶長9年9月23日「黒野村外三十二ケ村連署書上」(山田文書)には「いもしや村 小嶋孫兵衛・金俊孫市」の個人名も見られる。また慶長14年7月25日,当村を大嶋茂兵衛光政に200石,久左衛門光俊に286石を分与している。当村の領主および村高は「慶長郷牒」では幕府領代官栗原盛清支配471石余・大嶋茂兵衛200石余・大嶋久左衛門286石余,計957石余,「正保郷帳」では幕府領671石余・大嶋久左衛門286石余,「天保郷帳」では964石余,他に惣右衛門新田8石余,「旧高旧領」では笠松郡代支配973石余。天保6年の村明細帳によれば102戸・419人・馬4匹,田41町3反余・畑31町7反余。市平賀【いちひらが】・鋳物師屋村と組合で大平賀村に井堰を築き,用水を引いた。子御高入新田畑・御林跡新田(惣右衛門請)が15石余あった。御膳籾など上納。中之番村・栃井【とちい】村(現美濃加茂市)の代助郷が命ぜられ中山道太田宿へ出役。寺は天徳寺・普門院・弘誓寺・山行院。神社は白山権現。弘化3年の村明細帳では97戸・394人。明治2年の村明細帳では105戸・467人・馬2匹,田43町5反余・畑32町1反余。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」によれば117戸・514人・馬39匹。民有地の田84町1反余・畑12町9反余,米859石・実綿776貫を生産。明治24年の濃尾地震では総戸数101戸・総人口550人のうち全壊31戸・半壊68戸・負傷4人(震災誌附1)。同30年富岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342770
最終更新日:2009-03-01




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