岩手郷(中世)
鎌倉期から見える郷名。美濃国不破【ふわ】郡のうち。嘉元4年6月12日付の昭慶門院御領目録に「美濃国広重 課役十五万疋」のうちに「兵衛督局 石手郷」とあるのが初見(京都大学所蔵文書)。下って永正15年9月21日の守護土岐政房は,岩手四郎三郎長知に「岩手之郷一部方二部方」を先規のごとく一円に安堵し,さらに敵方が買得した田地を新給として宛行っている(大垣市立図書館所蔵文書)。当地方に割拠する岩手氏は,長江頼慶の子で初代の弾正左衛門頼重(元中元年誕生)が不破郡今須より岩手城に移り岩手氏を名乗ったといわれる。頼重の孫重久は応仁のころ土岐成頼に属して活躍し,子孫は土岐・斎藤両氏に仕えたが,永禄初年に竹中重元・重治と戦って敗れ,当地方は竹中氏の領有に帰した(県史)。なお,岩崎神社の文正元年11月19日の造立棟札によると,「源朝臣岩手又四郎長敏・岩手中務丞長仍」によって寛正2年6月に立柱し6か年間を費やして竣工しており,のちたびたび社殿の葺替えを行っている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342808
最終更新日:2009-03-01