ケータイ辞書JLogosロゴ 牛洞郷(中世)


岐阜県>大野町

 室町期から見える郷名。美濃国大野郡のうち。牛洞野村ともいう。はじめ八条郷と称した(醍醐寺文書)。明徳元年5月6日付の足利義満御教書に「瑞岩寺領美濃国本郷牛洞内壱所」とあるのが初見(瑞巌寺文書)。次いで年未詳6月17日付の足利義持御教書により「濃州八条郷牛洞と号す」地は城田寺郷の替地として三宝院門跡の満済に与えられ,以後三宝院門跡領となる(醍醐寺文書)。宝徳元年9月11日「三宝院門跡領美濃国牛洞郷」に幕府奉行人の禁制が下され,さらに応仁2年閏10月4日付の醍醐寺方管領諸門跡等所領目録に門跡領として見えるが,その後は不明(同上)。織豊期に入り,天正3年正月11日織田信長は「牛洞野村之内月成方」を斎藤玄蕃助に宛行っている(南陽堂楠林氏文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342870
最終更新日:2009-03-01




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