ケータイ辞書JLogosロゴ 打保村(近世)


岐阜県>宮川村

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国吉城【よしき】郡小鷹狩【こたかり】郷のうち。天正14年から金森氏領。天正15年12月13日付で素玄(金森長近)より長屋喜兵衛に「卅石八斗四升高原之内山ノ村之内うつほ村」が宛行われている(池上謙治氏所蔵文書)。元禄5年以降は幕府領。村高は「元禄郷帳」は55石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では78石余(うち照蓮寺領1斗余)。「国中案内」では村高56石余,家数32。「後風土記」によれば,当村は縦10町・横2町で,焼畑が2町余あり,家数37・人数200余。産物は米15石・稗50石・大麦30石・小麦3石・大豆10石・荏7石余・菜種6石余・楮150貫・大小繭160貫・真綿300目・生糸26把余・布45疋・山ドリ2羽・雉子3羽・年魚1万尾・鱣2貫余など。寺社は産土神白山社・薬師堂・道場。道場は東本願寺宗高山照蓮寺末,弘治3年の開基。当村の東方は宮川を渡し籠で塩屋村舟渡【ふなど】へ5町,西方は山,南方は文道寺嶺越で三川原【さんがら】村へ1里半余,北方は戸谷【とだに】村へ8町,高山へ11里。明治8年に坂下【さかしも】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342916
最終更新日:2009-03-01




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