ケータイ辞書JLogosロゴ 鵜沼荘(中世)


岐阜県>各務原市

 鎌倉期から見える荘園名。各務郡のうち。室町院御領目録写に「美濃国鵜沼庄」とあるのが初見(集)。後高倉院から室町院に伝領された所領で,正安4年8月室町院領は大覚寺・持明院両統に折半され(実躬卿記),当荘は大覚寺統に属して亀山・後宇多両天皇から昭慶門院へ。その嘉元4年6月12日付の御領目録に「鵜渭庄」と見えるが,同目録に記載する国衙領「鵜沼郷 左衛門督局」との関係は不詳(京都大学所蔵古文書集)。以後は室町期まで未見。享徳元年の皇大神宮宮司庁宣注文写に「美濃国鵜沼」と見え(神宮文庫所蔵文書),文明15年12月17日付の内藤信盛材木注文案に「公方様御材木当国鵜沼ニ御座候物数事」と見える(蜷川家古文書)。織豊期に入り,小牧・長久手の戦の最中,竹鼻城主不破広綱は徳川家康に羽柴秀吉が「うるまへ罷越」した旨を注進している(不破文書)。戦国期に鵜沼城には大沢次郎左衛門が住したが,永禄5年織田信長によって陥落,のち池田照政の家臣伊木忠次が木曽川を眼下に見下ろす伊木山に築城して当地を支配したという(各務原市の歴史)。なお地内大安寺境内に土岐頼益・守護代斎藤利永の墓がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7342925
最終更新日:2009-03-01




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