ケータイ辞書JLogosロゴ 荏戸郷(中世)


岐阜県>可児市

 鎌倉期から見える郷名。美濃国可児郡のうち。嘉禎4年7月22日の春日社宛官宣旨で,同社領可児郡の中村郷の四至西境が「西限荏戸春近堺」とされている(御嵩町春日神社文書)。鎌倉期のことはこれ以上不明だが,南北朝後期以来郷は上・下に分かれ,上郷は醍醐寺理性院門跡領,下郷は延暦寺青蓮院門跡領となっていた。康暦元年足利義満は「美濃国荏戸上郷」等を二位法印快季の譲に任せ,理性院僧正宗助に安堵,しかし同郷について青蓮院の競望があり,理性院は応永年間飛騨国広瀬郷を替地として同郷支配を放棄した(醍醐寺文書)。応永8年3月,幕府は「美濃国荏戸郷」を青蓮院門跡雑掌に沙汰付けるよう美濃守護土岐頼益に命じている。その後長享3年,青蓮院は鶴松なる者に上郷の代官職を宛行っており,応永以来のこの時点まで上・下両郷とも青蓮院の領知が確かめられるが,以後史料には見えない。なお,長享元年の上郷年貢銭目録の写によれば,荏戸上郷は「前なミ村」「結原方」「一色村」「河合村」にまたがり,「おうりゅうち名」「的場名」など約30の名を構成,年貢銭合計は127貫文となっている(青蓮院文書)。郷域は御嵩【みたけ】町西部から可児市北部にわたるか。長享元年の上郷年貢目録写に見える地名のうち,河合村は,木曽川と飛騨川の合流点南岸に位置する可児市川合であろう。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343000
最終更新日:2009-03-01




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