ケータイ辞書JLogosロゴ 円城寺村(近世)


岐阜県>笠松町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国羽栗郡のうち。はじめ幕府領,慶長17年からは尾張藩領。村高は「慶長郷牒」1,086石余,「元和領知改帳」536石余,「正保郷帳」以降は839石余で,うち川欠けによる流失高が約123石あった。当村には木曽川の流材を取り締まる円城寺川並奉行(円城寺奉行ともいう)が設置され,延宝6年以降野々垣氏が世襲。また尾張藩円城寺役所の付近には川並番所があり,抜け荷を取り締まった。また天和元年頃から継舟問屋ができ,対岸の尾張国葉栗郡北方村の問屋と隔月交代で勤番し,北方奉行と円城寺奉行に運上を出した。野々垣氏は木材の川下げに関する権利も有し,犬山から川下げされる筏の半分は無償で円城寺湊に着けられ,さらに白鳥湊へ一乗米1斗5升宛で野々垣氏配下が乗り継いだ。また同氏は,代替りの度に尾張徳川家が当地を通行する際に当村横越で送迎を行う家格を有していた。「濃州徇行記」によると当村の東は中野村,南は木曽川,西は薬師寺村・徳田村,北は伏屋村に隣接。家並みは木曽川堤に沿って東西に並び,中心集落は中野村境の御成街道に沿う。大船9・中船12を所有。明治4年岐阜県に所属。明治5年の村明細帳では田方約691石・反別43町余,畑方約228石・反別28町余,畑方新田62石・反別6町余。ほかに大縄場が約2町6反(うち屋敷畑1町7反)。家数256・人数1,178で,農間稼ぎに男は船挊・大工・木挽・左官・紺屋,女は賃機稼ぎ・糸引きをした。木曽川通に680間の堤があり,橋44か所・高札場1・郷蔵1・渡し場1。社寺に神明社・大髪社・富士社・田中明神,浄土宗専養寺・臨済宗妙心寺派西明寺・東本願寺大谷派の河野称名寺・河野円城寺・聞瑞寺がある。同8年栗木村を合併する一方,村内の一部が独立し河田島村(現在の川島町のうち)となる。同24年の濃尾地震の被害は人数1,159のうち死傷者19,家数242のうち全壊211・半壊31(震災誌附1)。同30年羽島郡下羽栗【しもはぐり】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343019
最終更新日:2009-03-01




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