ケータイ辞書JLogosロゴ 大井(中世)


岐阜県>可児市

 鎌倉期から見える地名。大井戸【おおいど】と同一か。「吾妻鏡」によれば,承久3年6月3日,京方は東山道大井戸の渡りを固めるべく,大内惟信・筑後有長・糟屋久季らを派遣,対して鎌倉方は武田五郎・同小五郎・小笠原次郎父子・小山新左衛門尉らに東山道を西上させ,同6日幕軍は大井戸を渡り,官軍を打ち破った。この時の渡河点を「承久記」「承久軍物語」は「大炊の渡」「大井のわたり」としており,大井・大井戸はともに「和名抄」大井郷の遺名とされる。鎌倉初期には伊勢内宮役夫工料未済所々の1つに大井戸加納が見え(吾妻鏡建久元年4月19日条),下って室町期には華頂殿(青蓮院)領大井戸郷(蔭涼軒日録,寛正6年2月29日条),香厳院領大井郷(同書,長享2年5月16日条・後法興院記長享元年12月19日,同2年7月12日条)が見えるが,3者の関係等は未詳。ただ香厳院領大井郷については,康正2年大館兵庫頭教氏が地頭領家両職の領掌を認められていること(建内文書),長享2年には香厳院が郷内に「苧関」を立てようとしたが,和気三郎左衛門が難渋するため立てられなかったことなどが知られる(実隆公記同年11月28日条)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343040
最終更新日:2009-03-01




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