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- 大桑郷(中世)とは
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大桑郷(中世) 南北朝期から見える郷名下総国結城郡のうち康暦元年4月21日の将軍足利義満袖判御教書に「下 摂津宮内大輔能連,可令早領知下総国結城郡内大桑程塚,常陸国市毛・箱田・鳴山,備後国重永本新庄事,右,任亡父左近大夫将監時親法師〈法名〉譲状,可令領掌之状如件」とあり,幕府は亡父時親の譲状を認めて,摂津能連に当地などを安堵している(士林證文/広島県史)文明3年11月15日,結城氏広が河尻大炊助入道に与えた替地充行状写に「下総国結城郡為大桑郷本給平八在家五貫文地替代(ママ)而,同郡峯崎坊職並田畠□□□宛行所也」と見える(栃木県庁採集文書/結城市史)天文17年7月24日,多賀谷政広が乗国寺に充てた寺領寄進状に「三九かために,大くわ郷之内えんちやう寺ふん之内畠二たん一貫文之所」とある(乗国寺文書/結城市史)現在の結城市小森付近に比定される(結城市史) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」