ケータイ辞書JLogosロゴ 太田郷(中世)


岐阜県>美濃加茂市

 鎌倉期から見える郷名。美濃国加茂郡蜂屋【はちや】荘のうち。建長5年10月21日の近衛家所領目録に「蜂屋太田 資平卿」とあるのが初見(近衛家文書)。ついで正応3年の宝帳布所進諸荘目録に「一段 蜂屋太田」と見え(同上),延文元年7月10日近衛道嗣御教書では「蜂屋庄内太田・山本両郷」が竜翔寺方丈に安堵されている(大徳寺文書)。一方暦応4年10月28日付の修理権大夫奉書によれば,幕府は「蜂屋庄内太田郷并鷹栖村・大針郷」等に対する佐分加賀入道らの押妨を停止し,下地を佐分棟貞代忠泰に沙汰付けるよう,佐々木経氏・朝日小三郎両使に命じている(杉本家古文書)。降って永正年間の太田郷祐川庵勘定状には「太田郷賀茂社神田」が(大仙寺文書),弘治年間(推定)の斎藤范可(義竜)知行宛行状や加治田年貢銭目録には「太田領家」が見えている(斎藤文書)。地内には式内社と伝える賀茂社があるが,「大仙寺文書」中の永正年間の太田郷賀茂社領年貢注文案によれば,賀茂社は郷中の「はちや田」「若宮後」「加多嶋」「雨川」「あつミ」「ゆわい(岩井)」「やたみそゝい」「松尾」「とゝめき」等に神田1町余を有し,それらは大仙寺(八百津町)の末寺祐川庵(祐泉寺)が管理していた。現在美濃加茂市太田町西町の小字に磐井・ととめき・蛙住【あつみ】・松尾などがあり,同市蜂屋町には矢田の地名が残っている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343115
最終更新日:2009-03-01




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