ケータイ辞書JLogosロゴ 大野村(近世)


岐阜県>安八町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国安八【あんぱち】郡のうち。尾張藩領(同藩家老石河伊賀守采地)。村高は254石余(うち田155石余・畑96石余・桑木高2石余)。宝暦6年の戸数68・人数344。安政5年以降,美濃路墨俣【すのまた】宿の助郷村。当村は森部輪中の西側の堤沿いに位置し,中須川を隔てて中須輪中に隣接。稲作中心の村であるが,堤外地では養蚕も若干行われた。字名に北沼・南沼があり,輪中内には湿田が多く,江戸後期には重田をして生産力の維持を図った。明治4年岐阜県に所属。同14年の戸数68・人口306。同24年の濃尾地震被害は,人数334のうち死傷者3,戸数52のうち全壊42・半壊10(震災誌附1)。同30年名森村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343151
最終更新日:2009-03-01




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