ケータイ辞書JLogosロゴ 大野村(近世)


岐阜県>関市

江戸期〜明治7年の村名美濃国武儀【むぎ】郡のうち慶長6年金森長近の領有となるが,慶長16年子の長光の夭折によって収公されたといわれ,幕府領大久保石見守支配となり,元和元年からは尾張藩領村高は235石余慶安4年では172人・馬19匹(美濃国尾張領村々覚書)「濃陽志略」によると69戸・299人寺社は大禅寺・水無明神「濃州徇行記」では62戸・236人・馬21匹,田19町6反余・畑5町2反余小百姓が多く,伊深【いぶか】村へ少し出作一体に田が多く,中稲を中心に作る他に年間6両ほどの薪を売り出している寺社は大禅寺・阿弥陀堂・地蔵堂・薬師堂・水無大明神など用水は元禄16年に開発竣工の大野用水を利用明治4年岐阜県に所属同5年の村明細帳によれば,56戸・262人・馬17匹,田20町8反余・畑5町5反余職人は白木職・伯楽の2人,医師1人明治6年大野神社を郷社に指定同社は「濃陽志略」などに記す水無明神社で,帳内社武儀郡正六位上大野明神に比定され,祭礼では御供田の稲を紙よりにより込み,数十対の榊に結び,参拝者は争ってこれをとり,苗代の水口にまつって豊年を祈ったという明治7年上大野村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343170
最終更新日:2009-03-01




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