ケータイ辞書JLogosロゴ 奥村(近世)


岐阜県>上石津町

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国石津郡のうち。はじめ多良村のうち,江戸中期分村独立する。当初幕府領,のち旗本多良高木西家知行地。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」303石余。明和4年の戸数36・人口145。寺に真宗大谷派明円寺がある。弘化2年には領主高木氏の農民負担の増大に耐え兼ねた当村を含め9か村領民の総百姓一揆が起きている。当村庄屋助左衛門は,役所居宅などの打毀などを計画し一揆の中心となっている。同人の処罰は,闕所・田畑家財取上と最も重い(県史)。明治4年岐阜県石津郡,同13年上石津郡に所属。同13年の戸数40・人口193(上石津町史)。同22年多良村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343286
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ