ケータイ辞書JLogosロゴ 奥条村(近世)


岐阜県>南濃町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国石津郡のうち。奥城とも書く(慶長郷牒)。大垣藩領。村高は「慶長郷牒」「正保郷帳」は共に210石,「天保郷帳」432石余,「旧高旧領」では210石。明治4年岐阜県石津郡に所属。明治5年の村明細帳によれば,村高435石余,戸数50・人口181。駒野【こまの】村立会の谷川通堤460間がある。農間には男女とも山稼ぎをする。神社は天神宮・八幡宮・山神の3社。寺院は臨済宗真正寺・同宗堆雲院・真宗東派専通寺。今須宿助郷を勤める。同13年岐阜県下石津郡に所属。同14年の当村は東西20町・南北1里,総反別445町余,戸数52・人口213,小学校区は西駒野村習化学校。西駒野村との共有山347町余があり,物産に米約65石・大麦約162石のほか製茶約500斤・藍葉約250斤・薪約400貫などがある。高須より駒野・奥条を経て北伊勢に至る山越えの里道村内約1里10町。当村より県庁へ8里,下石津郡役所へ1里の道程であった。同30年海津郡城山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343291
最終更新日:2009-03-01




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